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何故、当院理事長武田医師は日本で初めて医療にピラティスをとり入れたのかー。連載記事が掲載!
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士のためのリハビリ情報サイトPOST編集部【こちら】で、
当スタジオ代表の、Dr.TAKEDAの4回に渡る連載インタビュー記事が掲載されています!
第一回のインタビューのみこちらでご紹介致します。第二回以降は是非サイト上にてご確認ください!
【目次】
第一回:人のカラダを包括的に捉える医師になる
第二回:一流の医師から学ぶ仕事の流儀
第三回:自分にも患者にもコミットメント
最終回:ピラティスを越えたその先へ
私がついにこの日が来たのか!と感じたのは、2016年に日本を代表するスポーツ医学専門誌である「臨床スポーツ医学」の8月号が一冊丸ごとピラティス特集となったことです。私が思うに、世界有数のスポーツ先進国において、医学専門誌が一冊丸ごとピラティス特集で編集された国は、私達の日本が初めてではないかと思います。
米国へ留学。たまたま出会ったピラティスを見た衝撃
― ピラティスに出会ったきっかけを教えてください。
武田先生 1999年に米国へスポーツ医学の研修に行くことが決まり、予定されていた研修は年明けからだったので、年末年始の航空チケットは高いので、それを避けて2週間ほど早くサンフランシスコに入りました。
その2週間何もしないのも勿体無いですから、スポーツ医学を勉強できる場所を探そうとインターネットで調べました。
当時、サンフランシスコといえば、私はジャイアンツしか思い浮かばなくて。ジャイアンツの選手を担当しているドクター、病院はきっと一流だろうと思い、検索してみるとサンフランシスコ市内にあることがわかり、運よく研修させてもらえることになりました。
そこのドクターを調べてみると、米国のスポーツ医学の権威の先生でもありました。彼こそが米国、セントフランシス・メモリアルホスピタル、スポーツ医学センターのディレクター、ジェイムス・ゲーリックMDでした。
実は米国におけるメジャーな大学の中でスポーツ医学科をいち早く開設したのがワシントン大学であり、ゲーリック医師は、そのスポーツ医学科の開設者その人であり初代教授でした。
また、世界でスポーツ整形外科の医学専門誌として最も権威あるアメリカン・ジャーナル・オブ・スポーツメディシン(AJSM)の編集委員でもありましたので、この先生のもとでなら間違いないと思いましたね。
さらに幸運なことに、当時、私はスポーツ医学以外に足と靴の医学にも興味があったのですが、全米podiatric medicineのスポーツ医学会の会長やカリフォルニアのpodiatric medicineの大学教授を務めるドクターもその病院にいることがわかりました。
スポーツ医学の権威、ゲーリック医師は、米国のダンス医学のパイオニア、権威でもあり、そこの施設にあったのがピラティスのマシーン(専用器具)だったのです。そこには、ダンサーやトップアスリート達が次から次へと障害予防やパフォーマンスアップのために通っていました。
私は一目で「すごいファンクショナルトレーニングだな」と感じたと共に「なんでこれが日本で知られてないのだろう」と、ある意味衝撃を受けました。
ー スポーツ医学を学ばれた先生は健康分野にも精通していますが、その理由はなぜでしょうか?
武田先生 私はスポーツ医学のほか、ヘルスプロモーションなど健康づくりに関わる分野に興味がありました。それも人のカラダをcomprehensive(包括的)に捉えることに興味があったのですが、その範囲は広く、スポーツ医学の中でも特に全身各部位に及び、かつ、机上では学びようのない技術的なことが多いという意味で、まずは整形外科を専門とすることを選びました。
しかし、整形外科研修医が終わるころ、スポーツ医学をやる上で、整形外科内では、例えば肩関節、膝関節、股関節などに対して診療グループが分かれていて、これではいくら局所的な知識があっても包括的な対応がし難いこともあるだろうと考えていました。
また、そこで、当時、福岡市の健康づくりセンターが新しく作られたばかりで、教授にそちら(福岡市保健福祉局)のポストをタイミングよく紹介してもらうことができました。
市の健康づくりといえば、どちらかというと内科的な仕事や検診が多いので、特に生活習慣病や感染症を中心に内科全般と精神疾患について、また、予防医学について学ぶことができました。
さらに私は整形外科医として下肢(足・膝)の検診を入れるという新しい取り組みも始めました。行政ですからコンサバ(保守主義:Conservativismの略)な部分も多く、3年かけて保健師の方々に自分という人間を理解してもらうところからコツコツと少しずつ根回しして改革を行っていきました。
その合間にも、スポーツ医学の勉強のためACL再建の権威と言われる整形外科教授の手術助手を務めたり外来見学をしたり、また、他にも日本のプロ野球選手を一番多く診てこられた久恒病院の原正文先生の外来見学・手術見学にも行ったりしていました。
同時にその頃、長野冬季オリンピックにドクターとしても参加する機会に恵まれ、自分のやるべき道を確実に歩んで来ることができました。
そのような中で、自分の思いを形にできる場、それを提供できる場、縦割りではなくトータルに患者さんをサポートできる施設を作ろうと思い、米国にスポーツ医学の研修に出向き、その後、整形外科の臨床に戻り修行した後に、スポーツ・栄養クリニック、さらにはその1年後にPilates Labを開設しました。
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続くー。